■ 第十五回 メランジェ的 日本お茶紀行? 九州編

1年間九州と静岡、もちろん地元の宇治のお茶の産地を訪ねました。

メランジェのある京都は、世界に名前が知れ渡っている日本茶の有名お茶産地 ” 宇治 ”があります。開店当初からメランジェでは日本茶を販売しておりますがここ数年日本茶に興味がある若い人たちが増えています。海外でも,緑茶ブームと言うことで色々な国で作られた緑茶が飲まれています。開店当時から、紅茶の産地別のように日本茶も産地別で販売したいと考えてきました。海外で色々な日本産でない日本茶を見ることが多くもう一度自国のお茶の産地を見直したいと思ってここ2年色々日本の中のお茶の産地を訪れました。それをご紹介したいと思います。



[ 冨春園 ]茶園
長崎県 平戸にある栄西禅師ゆかりの[ 冨春園 ]茶園 (平戸市木引町の千光寺)

臨済宗の開祖栄西は、2度目の入宋して禅を学び、建久2年(1191)平戸の葦ヶ浦(古江湾)に帰り着きしばらく千光寺に滞在され、禅宗を広められたそうです。この冨春庵の跡がすなわち千光寺で、境内には、栄西が座禅を組んだという座禅石があります。

お寺の前にこの記念茶園はあり、ここを下っていくと下のほうに座禅石が置けれていました。800年以上前の話です!



佐賀県東脊振 霊仙寺付近に上っていく道
背振山の山頂に近い山中に「茶祖 栄西の碑」があります。

帰朝して平戸に上陸し、しばらく滞在して、茶種子を播種したと言われているが、現在その各章は見当たらないそうです。平戸説と背振山説、、どちらにしても日本の人々に普及したお茶の始まりは栄西禅師ゆかりの場所です。日本の栽培茶のルーツはどこか色々議論されています。



栄西禅師ゆかりの霊仙寺跡と石上坊後の道しるべ
  一説によると、栄西禅師は平戸からその後、背振山霊仙寺の石上(いわかみ)坊に移住し、そこで茶を栽培したと言われています。これが「石上茶」と呼ばれるものです。

その後、栄西から茶種をもらい受けた明恵上人の手によって、栂尾高山寺の前庭(深瀬の園)に植えられ良質の茶が出来ました。現在高山寺に記念茶園があります。最初に植えられたところではありませんが記念茶園として今もちゃんと京都の宇治の方々が手入れされお茶を栽培しておられます。さらにそれらが、宇治に伝わり、宇治茶が出来たといわれています。



建仁寺にある栄西禅師の肖像画
栄西禅師(1141-1215)は日本臨済宗(禅宗)の開祖であり、14歳のとき比叡山延暦寺で受戒、19歳のときに伯耆(ほうき)大山寺(だいせんじ)で天台密教を修行し、その後、仁安三年(1168)と文治三年(1187)の二度宋に渡ったのです。

栄西は、のちに頼家に請じられて京都の建仁寺を開き、実朝のために鎌倉の寿福寺を開く。また宋から茶の実を持ち帰り、製茶や喫茶の法を伝え、「喫茶養生法」を著したことでも知られる。栄西が初めて茶の種を植えた所が、この平戸の禅房の裏山といわれ(背振山という説もある)茶園は冨春庵にちなみ冨春園と呼ばれ「栄西禅師遺跡之茶畑」の碑が建つ。
  茶は、すでに遣随使や遣唐使によって中国からわが国に伝えられていた。平安朝時代、桓武天皇は茶を愛用している。しかし茶は、朝廷の特殊な法会の供応や薬用など、上層貴族階級用のものであったようである。平戸出身の詩人藤浦洸はこの冨春茶園について「これが日本の最初のものであったかどうかということが問題ではなく、むしろ高貴階級独占のものが、ここではじめて一般庶民のものになった、ということに意味があると思う」と書いている。
栄西禅師は建保二年(1214)、鎌倉将軍「源実朝(さねとも)」が宿酔(ふつかよい)で苦しんでいるとき、一服のお茶と『喫茶養生記(きっさようじょうき)』を献上した(吾妻鏡)と記録にあり、
この『喫茶養生記』が、茶の効用や飲み方を広く世に知らせるきっかけとなったのです。
このときの、お茶は粉に引いた抹茶状のお茶と思われます。

この翌年、建保三年(1215)七月五日75歳で世を去ります。



嬉野にある 国の天然記念物に指定されている「大茶樹」
中国から伝わった釜炒茶を今も製造しているお茶の産地です。

嬉野茶の発祥の地とされる茶畑の広がる不動山にある大茶樹。樹齢340年を超え、茶としては珍しい大木で国の天然記念物に指定されています。
大変大きな木で栽培のために切り込まないと茶樹は大きく育つものだと驚きました。

嬉野茶の茶祖である吉村新兵衛さんが、山野を開拓し茶種を播いたのが嬉野茶の起りであると伝えられ、その時栽培されたうちの1本だそうです。ここには中国の陶工が南京釜を持ってきてそれで作った釜入茶がいま伝承されている嬉野釜入茶の元のようにここの茶の木の立看板の説明のところに書かれていました。



嬉野の茶畑
谷あいの静かな村に斜面に茶の木が栽培されています。大きな天然記念物の茶樹の周りにもたくさん小さな茶畑があり、鹿児島とは同じ九州でもまったく茶畑の風景が違います。
日本昔話のなかに出てきそうな村でした。茶畑回っていると日本の景色は本当に美しく未来に残して行きたいですね!
話によると、シーボルトがオランダに運んだ日本のお茶は嬉野茶というように聞いています。



熊本県八代郡泉村 (船本製茶園の山の茶畑)
五家荘は、熊本県八代郡泉村に平家の落人が隠れ住んだ山の中の茶産地、
昔のお茶の作り方を復活させた「青柳」は、釜炒茶で大変珍しいお茶で復活させた船本さんしか造られていません。

五家荘は、いずれの集落も平家や藤原氏の末裔と伝えられ、落人たちは彼ら自身を守るため他と接触を断ちました。焼畑を基盤とした自給自足の生活をされてきたようです。棚田がありとても田舎の風景が心休まる氣がし。日本のお茶畑をみるとお茶に良い環境は人間にも良く味がひときわ美味しく感じます。



大分県 耶馬溪の清流の横で有機栽培無農薬の煎茶の茶畑
紅葉で有名な渓谷「耶馬溪」の近くに無農薬、有機栽培の生産者が集まりお茶だけでなく色々なものを作っているエリアが有ります。2003年夏フランスでオーガニックの日本茶を探してほしいとの依頼で九州と静岡の日本茶を探しました。その無農薬の煎茶のために2回ここを訪ねました。 きれいな渓流の横で新鮮な空気をたっぷり吸って育っているお茶は、すっきりした味で美味しいです。今都会の水道のカルキ臭の問題で深蒸の煎茶が多いですが丁度良い蒸ですっきりしていて懐かしい昔の日本茶を思い出します。



鹿児島県 知覧の煎茶の茶園

はるか後ろに開聞岳が見えます。 今までいろりろ日本の茶園を訪ねて行きましたが、日本の中にこんなに広い茶畑があるとは思えないぐらい大規模な生産体制でした。

鹿児島のお茶は「知覧」が有名ですが、他にも違う地域で作られています。名前が関西や関東ではあまり知られていないのは今まで宇治茶や静岡茶のブレンドに使われていたためここの産地名が書かれて売られているお茶は少なかったようです。今、日本でもだんだん産地表示がはっきりされるようになり鹿児島のお茶の名前も書かれて流通されていくと思います。特徴がはっきりしないのは今までブレンドに使われてきたので宇治茶や静岡茶の味に良くあわせて合ったからだと聞いています。



福岡県 星野村の玉露茶園
農林大臣賞を何度も頂かれた笛田さんの家の横にある玉露をつくっている茶畑で、ここは上にかぶせる藁も味作りの大事な役割があるので自分たちで覆い茶園用の藁のためにもち米を作っています。雨が藁を通って茶葉に影響するのだそうです。以前英国のジェーンさんをお連れして玉露の取材に一緒に出かけました、そのときの記事がコラムのジェーンさんの日本の旅に書かれています。ぜひ読んでくださいね!

その時お目にかかりご親切に玉露の話をしてくださった笛田さんは大変残念ながら昨年、お亡くなりになられたそうです。2004年7月にまた再会したくてここを訪ねましたが今は奥様が、がんばって一人で玉露と煎茶を作っていられるそうです。



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